※こちらは2010年01月に更新されたアーカイブ記事です。
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木目金に付いてのアレコレ、その3です。
バックルもエンドパーツも人の手によって作られますので、1つ1つの模様が異なり同じものが2つと無く、形や大きさも微妙に異なります。
江戸時代初期、正阿弥伝兵衛が作った刀の鍔をはじめとする刀装具は、今まで誰も見たことが無い「杢目金」の技法を駆使した見事な出来映えの為、秋田藩の大名のみならず、全国の諸大名の間で大きな話題になったといいます。
と言うのも、その頃の秋田藩は西回りの海のルートを使って京都と深く繋がっていたことから、京都や大阪の上方とは文化的・人脈的な交流が頻繁に行われていて、江戸との交流よりも遥かにあったと言われています。
名工として全国に名を馳せた正阿弥伝兵衛からその後7代に渡って技法が伝えられ、秋田における正阿弥を確立しますが、複雑な工程や特殊な技術は全てが口伝によるものと言われていて、また各々のセンスが要求される部分もあり、単純な伝承・継承とはいかない側面を持っていたようです。
(口伝による伝承は技術を「秘伝」とする為なのか、理論的に体系化するのが困難の為か定かではありませんが、制作者によって姿・形・風合いは全て異なります。)
そして時代が江戸から明治に変わると刀の時代では無くなり、残念ながら刀工・刀装具に関する文化は一気に下り坂を向かえてしまいます。
しかしながらその後、文献が残されていないと言われるこの金属工芸技術の研究や実践に取り組み始める人達が現れます。それこそ何十年という歳月をかけて、伝統技法をベースに独自の技法を修得され、刀に関する物に限らず壷や花瓶、香炉などの金属工芸や伝統文化に多大な貢献をされた方達です。
秋田では今でも多くの方が活動されていますし、作品は海外にも出展されています。
人々を魅了してやまない木目金の美しさですが、スーマンダックワも魅了されたその1人と言えます。(やっと辿り着きました・・・。)