※こちらは2009年7月に更新されたアーカイブ記事です。
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「革」というのは、どこかノスタルジックな気分にさせるものですね。
今から10年近く前に、ポール・スミスとのダブルネームでWILDSWANSの革小物を販売していたことがありました。Oさんに見せてもらった幾つもの革小物は、その ポール・スミスで売られていたものが中心で、その当時の記憶が蘇り大変懐かしく思いました。
使い込んでクタクタになっているものもあれば、まっさらな新品状態のものもありました。使い込まれたものは相当年季が入っていて、きっとヘビーローテーションで使われていたのだろうと思います。
次々と見せていただいた革小物はどれも使い込まれて風合いを増し、存在感を発揮していました。それぞれが大事に使われていたのだろうな、と素直に感じることが出来るエイジングの仕方でしたが、Oさんは「普通に使っていただけです」と笑っていました。
次々と出てくる
ウサギのマークの
RED EARバージョンのWILDSWANS。
今では滅多に見ることが出来ない、懐かしい代物です。
「これなんか凄い味が出てますね」と、言うと
「いやー、そうですかね?」と照れながらもあっさりとした答えが返ってきたので、その時は意外でした。
ただ後から思えば(自分でも思い当たる節があるのですが)革小物に限らず自分と共に年月を重ねていったものはその変化に中々気付かないものですが、ふと振り返ったり、人から指摘されることで改めてその変化の具合に気付くのかも知れません。また身近な物ほど、そんな傾向があるような気がします。使っている人にとっては既に「日常」なのかも知れません。
(自分が使っている革小物の経年変化には本当に中々気付かないものです・・・。)
Oさんの革小物の遍歴はWILDSWANSの1つの歴史でもあり、とても感慨深いものがありました。
前回「物語とはその人が生きてきた形跡」と大袈裟に書きましたが、Oさんの革小物はOさんが生きてきた形跡でもあり、WILDSWANSが生きてきた形跡でもあったからです。またその殆どが使い込まれていたことに、嬉しさを感じたのを覚えています。全ての道具は使ってみて何ぼ、だと思います。
何年にも渡り革製品を楽しまれている方は沢山いらっしゃると思うのですが、Oさんのようにトコトン使い込んでみて、具合を確かめ、更にまた使い込んでみる方がいるというのは、それを作った人からすれば、最高に嬉しくて名誉なことだと思います。作り手冥利に尽きるというものでしょう。
そしてその使い込まれた形跡が、目に見える形となって明確に語りかけてくるところに経年変化の魅力があるのかも知れません。(革もそうですが、木も石も布も全て同じことが言えます。)
未使用のメモパッドがあったので「これは使っていないのですか?」と聞くと「いや、もったいなくて・・・」と照れながら笑っていたOさんが印象的でした。